YouTubeをみながら過ごす
 先日からパソコンの性能を高めるため、購入元の組み立て業者さんへ自宅のPCを送り、預かってもらってます。
このため、自宅にはまともに動くパソコンがありません。骨董品のMacとゴミのようなノートパソコンだけ(笑)
「風が吹けば桶屋が儲かる」のたとえのようですが、自室にパソコンがないと、操作作業する間に「ながら」モードで観ていた、ビデオ録画のテレビ番組も観なくなります。
 今、なんとなく観ているのは、先日もここに書いたYouTubeの番組...というかビデオコンテンツ。若い人はあたりまえかもしれませんが、私には新鮮で飽きがこないコンテンツです。

 家の中で、Wifiを利用してiPadでYouTube動画を観るのも良し、テレビにもChromecastという、一時流行った転送アダプタのようなものをつけているので、これを使ってテレビで観るのも良し。

 
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 日常はパソコンのディスプレィで観ているとソースさせ対応していれば4Kで観ることができますが、さすがにiPadや転送だとハイビジョンどまり(家のテレビはどうせ4Kに対応していないし)。でも、iPadで寝転がって観るのは楽だし、43インチのプラズマ(死語)テレビで観ると、けっこう見映えしたり、細かいところがわかったりして動画を観る目も変わって面白い。

 なによりYouTubeが面白いのは、コンテンツが庶民の手作り、情報発信ということです。そして観たいことだけズバリと見せること。もちろん作りが拙い動画も多いし、やたらとうるさかったり、タイトル倒れで全く役に立たない情報も山ほどありますが、一般の放映テレビサービスにはない面白さがあります。
 放送局の取材がお店や市場に来たら、よそいきになるし、市場ならそこの理事長が説明したりして空気が伝わらない(笑 ごめんなさい)。
庶民感覚がそのまま空気で伝わるところ、意外性に楽しみがあります。


 

 これなんか、失礼ながら有名なYouTuberの方とは言えない人のビデオなんですけど、私にはとても面白かった。地元の人の視点があって、地の面白さが伝わってくる。
 素人くささが売りになるのは、プロの作るテレビ番組でもけっこうありますよね。「鶴瓶の家族に乾杯」とか「家、ついて行ってイイですか?」なんてそんな感じしますけど。

 それともう一つの面白さは、ビデオ撮っている人の意図とは違うのでしょうが、テーマとは違う、背景となる街の光景、土地の風景や通行人のファッション、食事の様子などが自然で、そこを中心に観ていても面白いこと。
 昔、NHKのBSでミラノやパリ、ロンドン等の通行人のファッションをずっとビデオカメラで追って、ファッション評論家がコメントしていくという番組がありました。面白かったけど、さすがに天下の国営放送がやることなので、海外といえど色々問題あったのか続きませんでしたが。そのノリですよね。たとえば次のビデオは、本来は先進的なビデオカメラで街撮りする方法を探る話なのですが、ビデオの後半、香港に暮らす日本のビジネスマンのランチ事情を伝えていて面白かったです。カメラにも興味はありますが(笑)




 もちろん、YouTubeの世界でも主流は、ビデオカメラで色々と効果的な撮影をして、多機能のソフトを使って編集し、美しい映像を作り上げそれをYouTubeの場で紹介するのが本筋で、素晴らしい映像コンテンツを楽しむことができるので、もちろんこれはこれで楽しみますが、私はそのあたりはNHKさんを始めとするプロの方の作るものに、先に目がいきます。

 YouTubeでは、もちろん海外のコンテンツもドッサリあるので、その国の言葉や、風景、街の様子などの情報も手に入れることができます。これから出張や観光で行くところの地名を現地語で入れれば、色々な光景にあえますし、外国語の勉強もできます。料理方法や家事のの効率的なこなし方、パソコンのソフトの使い方も学べますし、場合によっては、購入を迷っている商品の情報や、メンテの仕方についての情報もあるかもしれません。
 iPadで観ていると、画面の右左の端を指でダブルタップすると、少し巻き戻し、少し早送りで細かくコンテンツのチェックもできます。
43インチのテレビで観ていると、けっこうそんなことも面白いですね。もっとデカイ画面で見るとどうなんでしょうねえ。


# by ktokuri | 2019-01-18 14:29 | 個人生活 | Trackback | Comments(0)
阪神淡路大震災から24年 いつもの能書きです
 毎年ですが、この日が来ます。どうしてもこの時期になると、被災地真っ只中で暮らしていた、そして仕事も関係していただけに被災地で親交を温めた人たちとの再会、亡くなった方の家族の方との交わりが多くなります。震災に深く関係した人たちは、「黙して語らない」「関連報道は見たくない」という人と、饒舌に「熱く語る」「関連報道はすべて録画しチェック」という人とに分かれます。

 私はというと....歳を重ねるにつれて口が重くなりました。今、自宅のパソコンを改造修理に出していることもあり、筆も重いです。多くの大変なことがあり、密度濃い記憶はありますが、「私(たち)はこんなことをやった」「たいへんだった」と情緒交えて語るのはもういいですね。これからのために、防災のための準備・個人の用心、若い人の生き方につながるような形での記録・記憶の引き継ぎ、これは大事と思うのです。しかし、仕事柄、震災や地域・街の復興にはけっこう関わってきたからこそ、簡単に口にして、よく耳にするつまらない言葉にしてしまうのは抵抗感があります。そのときの無言で頑張った多くの人たちの存在・記憶が私たちを寡黙にさせてしまいます。


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 今までのことよりも、これからの神戸の街、阪神や淡路の地はどうなるのかがとても心配。古いものを忘れず、そして新しいものを観ていきたい、そんな想いでできるだけ外に出かけて、自分の目で見るようにしたいと思います。

# by ktokuri | 2019-01-16 13:24 | 想い | Trackback | Comments(0)