カテゴリ:想い( 25 )
新年あけましておめでとうございます
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 今年は、ゆっくりになるでしょうが、ブログをやっていくつもりです。

 よろしくお願いします。
by ktokuri | 2015-01-01 16:43 | 想い
東日本の大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された方にお見舞いを申し上げます
 昨日、オフィスで会議中、異様に長い周期の揺れを感じました。
最初は何か..と思いましたが、ゆったりとしたスローで大きな揺れに、微かに記憶にふれるものがありました。
ひょっとして遠くで大きな地震が起こっているのでは...と、会議を止めてネットを見ると、恐れていた速報が載せられていました。

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 そして、これがわれわれが国内で見たことがない凄まじい津波の猛威の始まりでもありました。

 仕事では、関係する施設のうち、津波の影響がある地域に所在するものを調べて注意する程度で、初期対応はほとんど何もする必要はありませんでした。
 しかし、自宅に帰って見るテレビの映像は、かって阪神淡路大震災のおりに神戸の被災した姿が如何に報道されたか、我々が見ることができなかったプロセスが再現されているかのような恐ろしい映像が次々に紹介されていました。
 ニュース番組で「壊滅状態」という言葉が繰り返し、繰り返し使われる恐ろしい事態となっていました。
 報道されるシーンを一つひとつ見るたびに思い出すかっての記憶。そして初めて身近に見る津波の恐ろしさ。昨夏に旅で訪れた東北の地のそここが、ズタズタになった姿で目に入ってきました。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。行方不明の方が一人でも多く、無事にみつかることをお祈りしております。

 そして、あのとき、全国、いや世界中の皆さんにお世話になった神戸に住む者として、何が出来るのか、私なりに考えたいと思います。
 少しでも早く、昨年お会いした美しい東北の姿を取り戻してもらいたいものです。
by ktokuri | 2011-03-12 16:00 | 想い
16年目の1月17日
 毎年来る1月17日。年を経るに従って矛盾した二つの気持ちがわき起こってきます。
多くの人の死を見てきた、立ち会ってきた私としては、この日を迎える気持ちは大事にしたい。

 しかし、一方では、饒舌なマスコミ、ファッションのように哀悼を顕すネットの表現には食傷気味でもあります。
 先日、たまたま見たドラマでは、あの震災の被災地が舞台になっていましたが、防空ずきんのようなものをかぶって逃げ回る人々の姿を見て、愕然ともしました。あのときとはまるで違う光景。

 街の中の不気味な静けさや、本当に濃い夜の闇、周りでそここで火災が広がっていく中、ただただ歩く人たちの列。そんな記憶から逃げることもできずにいます。
 
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 今でも見ることが出来る三宮の景色。この日、その翌日は、本当に悪夢のような光景でした。
 手元にあるアルバムをスキャナーでひろってみると、こんな具合。センター街も三宮神社も、本当に今、元気な姿になってよかったです。

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 今日も当時お会いした人たちの家をお訪ねしました。「今年も会えて良かった」と言ってくれたおばあちゃん。
当時は子供だったのに、今はいいお母さんになった人のおうちで、商売ものの親子丼をいただいて帰りました。
 苦しかったとき、先が見えないときに支え合った人たちとの今年のふれあい。
そんな記憶が、私の黙祷のかわりです。正午に黙祷はしましたが、ブログであまりしたり顔はしたくありません。


Contax T2 写真から直接コピー


by ktokuri | 2011-01-17 20:23 | 想い
2011年 謹賀新年
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 旧年中は、このブログでも皆さんに大変お世話になり、ありがとうございました。
 今年は明るい、楽しい一年になりますように。
by ktokuri | 2011-01-01 09:07 | 想い
毎年訪れるこの日
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 今年も私たちにとっての震災の日が来ました。毎年、多くのブログでこの日に多くの言葉が記されます。メディアが饒舌な一日でもあります。
 色々な話を聞き、色々な意見を読み、しかし、何かが違う気がします。毎年この感じが否めません。一つのファッションのようになっているというのでしょうか、自分の言葉でこの人たちは書いているのか、自分の心で考えているのかそんなうわすべりのものを感じます。

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私たちが体験したこと、そして今、それが自分の心にどう残っているのか、この日がどんな生き方を自分に与えたのか、そんなことを一人で考える一年で一度の区切りとしたいと思います。
by ktokuri | 2010-01-17 19:07 | 想い
新しい年を迎えました
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新年明けましておめでとうございます



 新年をお祝いするのには夜、ちょっと暗い画かもしれませんが、今年は暖かい人のふれあいを大事にしていきたいと思います。
それで、みんなが集うヨーロッパを代表する広場、ブリュッセルのグランプラスにしました。
ベネチアのサン・マルコ広場 と並んで、最も愛するヨーロッパの空間です。
 昨年、多くの人たちの暖かい心に支えられました。たいしたことはできないことはわかっていますが、そのときいただいた心を私から他の人たちにお渡しして恩返しをしたいと思います。

 
この年が皆さんにとって素晴らしい一年となることを神様に祈っております

by ktokuri | 2010-01-01 00:32 | 想い
毎年この日は...
 毎年、この日は特別です。このブログでも震災当日の写真を毎年掲載しています。
今年はそれをやめて今日の写真を載せておきます。
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 このカードは神戸観光1Dayチケット。このところ1月17日にはこのチケットを買います。もちろん観光に使うのではありません。神戸市内のほとんどのエリア~芦屋~明石まで行けるチケット。毎年私は仕事はできるだけ午後から休んで、市内の色々なところに行きます。震災のときに出会った人達を訪ね、その時亡くなった人達を偲ぶ場所へと出かけます。
 場所は特別養護老人ホームだったり、災害復興住宅だったり、墓地だったり。 この日だけは引きずって行くのでしょう。
 今日は、どうしても抜けることが出来ない仕事が昼にあって、いつもの3分の1しか訪ねることが出来ませんでした。ちょっと残念です。
 毎年言ってますけど、この日のことを「忘れたい」「思い出したくない」という人もいますが、私は絶対に忘れることはありません。誰かが想っていれば、命を落とした人たちも、その想いの中にいるのだと、思わずにはいられないのです。
 
by ktokuri | 2009-01-17 20:25 | 想い
今年も1月17日が来ました
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 毎年のことですが、神戸市民には特別なこの日を迎えました。私は今は仕事が早いのでこの時間には家で食事をしていますが、当時はグースカ寝ておりました。その意味では非常に幸運でした。朝早く起きていたら、どれだけの恐怖を味わっていたでしょう。
 その日のうちに火が出て私の家の付近はこの写真のように丸焼けになってしまいました。
幸い私の家も、同居人の実家も水際で火災から難を逃れ、私の家には多くの人たちが避難してくることになったのです。それは大変で、辛いことも多くありましたが、ある意味では楽しい日々でした。お金や贅沢とは無縁な生活。顔見知り程度であった人が、笑顔で遠慮なく話をすることができたひとときでした。命さえあればよい、無事でよかった、という感謝の念が続く日々でしたから、物欲が切れてしまっていたのだと思います。欲がなければ、世の中こんなにも住みやすいとは思いませんでした。
 避難所の責任者として、色々なお世話をしておりましたので、多くの方と知り合いになりました。今でも多くのおつきあいがあります。
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 しばらくたって徐々にみんなの生活のリズムができてきました。街が壊れて建物が崩れているのに、それはそれで呑気にマイペースで暮らすようになってきました。
 水も十分でなく、ガスがきていないことから、お風呂は銭湯で、大変不自由な生活でしたが、「あのときはよかった」と思い出すこともあります。
 今は再び様々な欲が戻り、楽しいことも多いかわりに、ぎくしゃくすることも多くなりました。人の心は不思議なものだと思います。

※上の写真はコンタックスIIIa&ビオゴン21ミリ、下の写真はレチナIIIcというクラシックカメラで撮ってます。ちょいと色が変なのはそのままにしています。ご容赦を。
by ktokuri | 2008-01-17 05:45 | 想い
新年あけましておめでとうございます  本年もよろしくお願いします
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   謹賀新年

                                      コウベライフ

                                      こうべらいふの裏木戸

                                      上方カメラ

                                      マイナーブランドの眼


      本年もよろしくお願いします



 昨年は楽しいこと、嬉しいこともあったけど、基調としては悲しいことや寂しいことが多い一年でした。
 今年は何か少しでも前の年より、より良いことがあるように祈りたいし、努めたいとも想っています。
by ktokuri | 2008-01-01 00:00 | 想い
今年もこの日がやってきます
 今年もこの日がやってきます。あの日、我が家の窓の下に見えた最初の光景(昨年の記事の再掲写真)これが、スタートでした。
毎年、この日に、この光景が目に浮かんできます。今回は、その日の朝のことを思い出してみたいと思います。
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 私は今まで、人生の大パニックのときには何故か心の安全装置が作動して自分でも気味が悪くなるほど冷静になります。恐怖や痛みを感じる部分が壊れてしまうような....これは幼いときに母親を亡くしたときからの性癖かもしれません。
これを感じる時々に自分を冷たい人間と思うのですが。

 十二年前のそのときも、まずガスの元栓と電気のブレーカーを切って、住んでいたマンションから火が出ないかどうか、確認するために階下に降り、しばらく待機。そして、マンションのエリアから出て、壊れて落ちた、家屋の2階がまるで人の首のように、街の道路にゴロゴロ転がっている中、知り合いの家がどうなっているか、その住民はどうなっているか、外から大きな声で呼んで安否を確認しました。
 その後、冷蔵庫の中にあったピーナッツとおかきをポケットに詰めて、職場に急遽でかけるべく、三宮まで歩いていく身支度をしました。帰りのためにポケットにミニ懐中電灯、ベルトにはコンタックスT2(カメラ)。同居人には「寒いけど火事が出たりしたらいけないから、窓は少し開けるように」と言い残して、家を後にしました。今考えても、ほぼ完璧なスタート。地下鉄に乗って職場に行くと言い出して(そんなもの止まっているに決まっている)、大混乱の同居人とは次元が違う冷静さ。普段はこんなにしっかりしてないのだけどね。

 自宅の前には 倒壊した建物が並んでいました。歩き出すと、もうそこここで、「助けてくれ」「おばあちゃんが下敷きや」などの声が聞こえました。悪夢をみている自分に指示する醒めた自分がいました。「これは手伝える」「これは手伝っても無理」と...何人かを家の柱から掘り出したり、、「ちょっとここに来てやって下さい」と言って、周辺の人を集めたり。火の回っている建物から年寄りと子どもをみんなと一緒に引っぱり出したりしながらどうしてこんなに冷静なのか、自分でも気味が悪かった。自分には感情がないのかと思いました。
 しかし、それでも一番ひどいところでは流石にシャッターを押す気にはなれませんでした。撮すより駆け寄っていく気持ちが強かったです。

 1時間ほど歩いて繁華街近くに出ると、そこはほぼ無人の世界でした。たまに人とすれ違ってもお互い無言のまま。そこで初めて自分の姿、格好に気が付きました。上着の左手がベットリ血糊がついて、前髪は少し焦げていました。瓦礫に埋もれている人を助け出すのはとても大変で、こんなときに、ホラー映画で使われる自動ノコギリがあればどれだけ楽だろう..なんて考えていました。
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コンタックスT2


栄町通に出ると、洋風の風情のある銀行の建物がありました。正面から見たとき、ああこのビルは大丈夫だったのかと思って見上げると、なにやら不自然。よく見てみると舞台装置のように皮一枚が残って、かろうじて建っていました。周りには一つの人影も見えません。まるで一瞬にして人類が死滅したという設定のSF映画に出てくる都市のようでした。遠くで消防車のサイレンだけが社会の動きを伝えていました。ほとんど無音で静かなのです。その銀行からなのか、キャッシュディスペンサーから飛び出した小銭が道の周辺にコロコロと転がっていました。札束はだれか抜いていったのかな...などとボンヤリ思いながら、本来だったら人通りの多いはずのこの時間、私以外には、誰もいない、冷たい風が強い街の中をスタスタ歩いていきました。
この異次元のようなシュールな世界。写真がなければ、今も思い出すと夢ではなかったかと思う光景。

 そして、それから、何日もたちました。私は行き掛かり上、避難所の所長さんのような仕事をしていました。それまでで、たくさんの人の死に立ち会ってきましたし、何日も一緒にいて語り暮らしたのに「ああ、この人とは二度と会えないだろう」と送り出すこともありました。
 そんな中でうれしいこともありました。長田の人たちはとても優しくて、たまたま来日していて巻き込まれた中国の人たちが避難所に泊まりに来ると、最初は「悪さするんじゃないか?」と心配していたのに、私が「あなた達との間に私が寝るから大丈夫だよ」と言っている間に、そんなこと無用、食べ物を渡したり、「寒くはないかい?」と毛布を探してきたり...ああ、神戸の人たちは暖かい..とよそ者の私も涙が出てきました。
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コンタックス IIIa ビオゴン21ミリ


この間の日々、私は神戸の人たちと一緒にいるという一体感でなんとか支えられていた気がします。
 毎年言ってますけど、この日のことを「忘れたい」「思い出したくない」という人もいますが、私は絶対に忘れることはありません。誰かが想っていれば、命を落とした人たちも、その想いの中にいるのだと、思わずにはいられないのです。
by ktokuri | 2007-01-17 05:46 | 想い