今年もこの日がやってきます
 今年もこの日がやってきます。あの日、我が家の窓の下に見えた最初の光景(昨年の記事の再掲写真)これが、スタートでした。
毎年、この日に、この光景が目に浮かんできます。今回は、その日の朝のことを思い出してみたいと思います。
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 私は今まで、人生の大パニックのときには何故か心の安全装置が作動して自分でも気味が悪くなるほど冷静になります。恐怖や痛みを感じる部分が壊れてしまうような....これは幼いときに母親を亡くしたときからの性癖かもしれません。
これを感じる時々に自分を冷たい人間と思うのですが。

 十二年前のそのときも、まずガスの元栓と電気のブレーカーを切って、住んでいたマンションから火が出ないかどうか、確認するために階下に降り、しばらく待機。そして、マンションのエリアから出て、壊れて落ちた、家屋の2階がまるで人の首のように、街の道路にゴロゴロ転がっている中、知り合いの家がどうなっているか、その住民はどうなっているか、外から大きな声で呼んで安否を確認しました。
 その後、冷蔵庫の中にあったピーナッツとおかきをポケットに詰めて、職場に急遽でかけるべく、三宮まで歩いていく身支度をしました。帰りのためにポケットにミニ懐中電灯、ベルトにはコンタックスT2(カメラ)。同居人には「寒いけど火事が出たりしたらいけないから、窓は少し開けるように」と言い残して、家を後にしました。今考えても、ほぼ完璧なスタート。地下鉄に乗って職場に行くと言い出して(そんなもの止まっているに決まっている)、大混乱の同居人とは次元が違う冷静さ。普段はこんなにしっかりしてないのだけどね。

 自宅の前には 倒壊した建物が並んでいました。歩き出すと、もうそこここで、「助けてくれ」「おばあちゃんが下敷きや」などの声が聞こえました。悪夢をみている自分に指示する醒めた自分がいました。「これは手伝える」「これは手伝っても無理」と...何人かを家の柱から掘り出したり、、「ちょっとここに来てやって下さい」と言って、周辺の人を集めたり。火の回っている建物から年寄りと子どもをみんなと一緒に引っぱり出したりしながらどうしてこんなに冷静なのか、自分でも気味が悪かった。自分には感情がないのかと思いました。
 しかし、それでも一番ひどいところでは流石にシャッターを押す気にはなれませんでした。撮すより駆け寄っていく気持ちが強かったです。

 1時間ほど歩いて繁華街近くに出ると、そこはほぼ無人の世界でした。たまに人とすれ違ってもお互い無言のまま。そこで初めて自分の姿、格好に気が付きました。上着の左手がベットリ血糊がついて、前髪は少し焦げていました。瓦礫に埋もれている人を助け出すのはとても大変で、こんなときに、ホラー映画で使われる自動ノコギリがあればどれだけ楽だろう..なんて考えていました。
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コンタックスT2


栄町通に出ると、洋風の風情のある銀行の建物がありました。正面から見たとき、ああこのビルは大丈夫だったのかと思って見上げると、なにやら不自然。よく見てみると舞台装置のように皮一枚が残って、かろうじて建っていました。周りには一つの人影も見えません。まるで一瞬にして人類が死滅したという設定のSF映画に出てくる都市のようでした。遠くで消防車のサイレンだけが社会の動きを伝えていました。ほとんど無音で静かなのです。その銀行からなのか、キャッシュディスペンサーから飛び出した小銭が道の周辺にコロコロと転がっていました。札束はだれか抜いていったのかな...などとボンヤリ思いながら、本来だったら人通りの多いはずのこの時間、私以外には、誰もいない、冷たい風が強い街の中をスタスタ歩いていきました。
この異次元のようなシュールな世界。写真がなければ、今も思い出すと夢ではなかったかと思う光景。

 そして、それから、何日もたちました。私は行き掛かり上、避難所の所長さんのような仕事をしていました。それまでで、たくさんの人の死に立ち会ってきましたし、何日も一緒にいて語り暮らしたのに「ああ、この人とは二度と会えないだろう」と送り出すこともありました。
 そんな中でうれしいこともありました。長田の人たちはとても優しくて、たまたま来日していて巻き込まれた中国の人たちが避難所に泊まりに来ると、最初は「悪さするんじゃないか?」と心配していたのに、私が「あなた達との間に私が寝るから大丈夫だよ」と言っている間に、そんなこと無用、食べ物を渡したり、「寒くはないかい?」と毛布を探してきたり...ああ、神戸の人たちは暖かい..とよそ者の私も涙が出てきました。
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コンタックス IIIa ビオゴン21ミリ


この間の日々、私は神戸の人たちと一緒にいるという一体感でなんとか支えられていた気がします。
 毎年言ってますけど、この日のことを「忘れたい」「思い出したくない」という人もいますが、私は絶対に忘れることはありません。誰かが想っていれば、命を落とした人たちも、その想いの中にいるのだと、思わずにはいられないのです。
by ktokuri | 2007-01-17 05:46 | 想い
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