今年もこの日がやってきます
 今年もこの日がやってきます。あの日、我が家の窓の下に見えた最初の光景(昨年の記事の再掲写真)これが、スタートでした。
毎年、この日に、この光景が目に浮かんできます。今回は、その日の朝のことを思い出してみたいと思います。
c0039413_2123251.jpg

 私は今まで、人生の大パニックのときには何故か心の安全装置が作動して自分でも気味が悪くなるほど冷静になります。恐怖や痛みを感じる部分が壊れてしまうような....これは幼いときに母親を亡くしたときからの性癖かもしれません。
これを感じる時々に自分を冷たい人間と思うのですが。

 十二年前のそのときも、まずガスの元栓と電気のブレーカーを切って、住んでいたマンションから火が出ないかどうか、確認するために階下に降り、しばらく待機。そして、マンションのエリアから出て、壊れて落ちた、家屋の2階がまるで人の首のように、街の道路にゴロゴロ転がっている中、知り合いの家がどうなっているか、その住民はどうなっているか、外から大きな声で呼んで安否を確認しました。
 その後、冷蔵庫の中にあったピーナッツとおかきをポケットに詰めて、職場に急遽でかけるべく、三宮まで歩いていく身支度をしました。帰りのためにポケットにミニ懐中電灯、ベルトにはコンタックスT2(カメラ)。同居人には「寒いけど火事が出たりしたらいけないから、窓は少し開けるように」と言い残して、家を後にしました。今考えても、ほぼ完璧なスタート。地下鉄に乗って職場に行くと言い出して(そんなもの止まっているに決まっている)、大混乱の同居人とは次元が違う冷静さ。普段はこんなにしっかりしてないのだけどね。

 自宅の前には 倒壊した建物が並んでいました。歩き出すと、もうそこここで、「助けてくれ」「おばあちゃんが下敷きや」などの声が聞こえました。悪夢をみている自分に指示する醒めた自分がいました。「これは手伝える」「これは手伝っても無理」と...何人かを家の柱から掘り出したり、、「ちょっとここに来てやって下さい」と言って、周辺の人を集めたり。火の回っている建物から年寄りと子どもをみんなと一緒に引っぱり出したりしながらどうしてこんなに冷静なのか、自分でも気味が悪かった。自分には感情がないのかと思いました。
 しかし、それでも一番ひどいところでは流石にシャッターを押す気にはなれませんでした。撮すより駆け寄っていく気持ちが強かったです。

 1時間ほど歩いて繁華街近くに出ると、そこはほぼ無人の世界でした。たまに人とすれ違ってもお互い無言のまま。そこで初めて自分の姿、格好に気が付きました。上着の左手がベットリ血糊がついて、前髪は少し焦げていました。瓦礫に埋もれている人を助け出すのはとても大変で、こんなときに、ホラー映画で使われる自動ノコギリがあればどれだけ楽だろう..なんて考えていました。
c0039413_19491450.jpg

コンタックスT2


栄町通に出ると、洋風の風情のある銀行の建物がありました。正面から見たとき、ああこのビルは大丈夫だったのかと思って見上げると、なにやら不自然。よく見てみると舞台装置のように皮一枚が残って、かろうじて建っていました。周りには一つの人影も見えません。まるで一瞬にして人類が死滅したという設定のSF映画に出てくる都市のようでした。遠くで消防車のサイレンだけが社会の動きを伝えていました。ほとんど無音で静かなのです。その銀行からなのか、キャッシュディスペンサーから飛び出した小銭が道の周辺にコロコロと転がっていました。札束はだれか抜いていったのかな...などとボンヤリ思いながら、本来だったら人通りの多いはずのこの時間、私以外には、誰もいない、冷たい風が強い街の中をスタスタ歩いていきました。
この異次元のようなシュールな世界。写真がなければ、今も思い出すと夢ではなかったかと思う光景。

 そして、それから、何日もたちました。私は行き掛かり上、避難所の所長さんのような仕事をしていました。それまでで、たくさんの人の死に立ち会ってきましたし、何日も一緒にいて語り暮らしたのに「ああ、この人とは二度と会えないだろう」と送り出すこともありました。
 そんな中でうれしいこともありました。長田の人たちはとても優しくて、たまたま来日していて巻き込まれた中国の人たちが避難所に泊まりに来ると、最初は「悪さするんじゃないか?」と心配していたのに、私が「あなた達との間に私が寝るから大丈夫だよ」と言っている間に、そんなこと無用、食べ物を渡したり、「寒くはないかい?」と毛布を探してきたり...ああ、神戸の人たちは暖かい..とよそ者の私も涙が出てきました。
c0039413_228156.jpg

コンタックス IIIa ビオゴン21ミリ


この間の日々、私は神戸の人たちと一緒にいるという一体感でなんとか支えられていた気がします。
 毎年言ってますけど、この日のことを「忘れたい」「思い出したくない」という人もいますが、私は絶対に忘れることはありません。誰かが想っていれば、命を落とした人たちも、その想いの中にいるのだと、思わずにはいられないのです。
by ktokuri | 2007-01-17 05:46 | 想い | Trackback(1) | Comments(18)
トラックバックURL : http://ktokuri.exblog.jp/tb/5314105
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Tracked from 神戸トピックス at 2007-01-17 00:36
タイトル : もうすぐ1.17
もうすぐやってきます。 1.17 東遊園地では準備が整いつつありました。 もう12年になるのですね。 なくなられた方々の13回忌。 あっというまのこの年月でした。 毎年、お正月が明けると、震災の年のことを思い出します。 家族中をめぐった風邪もようやく収束し、やっと出社できると思った朝でした。 その前の日の夕食も、前の日の月も、はっきりと覚えています。 何年たっても何十年たってもこの年の一日一日ははっきりと思い出すことができると思います。 ... more
Commented by senshikibow at 2007-01-16 21:43
また今年もこの日になるのですね。
あの日、僕は妊娠中の嫁さんと全壊のアパートから逃げ出しました。
手軽にと思ってニコンEMにフィルムを詰めてポケットに入れたのですが・・・
結局、一枚も撮ることが出来ませんでした。
でも、その光景は目に焼き付いて、音は耳に、匂いは鼻の奥に残っています。決して忘れることは出来ません。
Commented by midori at 2007-01-16 23:34 x
またあの日が来ました。
私も、忘れることはできません。
私が映像を通してみていた光景、そこにおられたktokuriさんの想いに、言葉が出てきません。
またトラックバックさせてください。
あと、26分で17日です。
Commented by MASAYO at 2007-01-17 00:35 x
まためぐってきました。
歩いて三宮に着いたとき、ヘリコプターの音で隣の声が聞き取れませんでした。
涙で街が見えませんでした。
Commented by settuya at 2007-01-17 09:05
今朝子供と震災の日のことを話しました。
出勤前のばたばたした時間だったけど............
忘れたらあかん!という思いでね。

ほんとうにあれからもう12年が経つんですね。
震災の前に諸事情から現在地に引っ越しをしました。もしそうしていなかったらどうなっておったか。数日後に旧居住地あたりの知り合いを訪ねてみましたがひどい惨状で旧宅は見事に倒壊しておりました。足が震えました。
今のsettuyaはある意味「生かされている」んだなあと思います。

その年の9月に我が家にやってきたわんちゃん。
犬の歳でいうともうしっかりおばあちゃん犬ですがこの子とともに震災後の暮らしがあります。

合掌。
Commented at 2007-01-17 09:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by panchan1121 at 2007-01-17 16:23
あの時、写真どころではなかったですね。
消防車、救急車、ヘリの音が鳴りやまなかったのを思い出します。
そして、方々であがる火の手を見ながら、呆然としていたことを思い出しました。

でも、撮ってはあるんですが、やっぱりデジタル化することを思いとどまってます。
私自身は、申し訳ないのですが、被害がわかった段階で神戸に改めて帰りましたので、その時に起きていたことは、人づてに効いただけなんです。
Commented by kaoruko at 2007-01-17 17:17 x
もう12年が経つのですね。
TV画面から流れる映像に言葉が出なかった記憶があります。
改めて、その日の様子を体験者の方から伺うと胸が詰まります。。
そうですね、忘れてはいけませんよね。
私も、そう思いながらここでの生活を過ごしていきたいと思います。

Commented by ktokuri at 2007-01-17 18:37
senshikibowさん、大変なときに震災に遭われたのですね。
私はこの何年か前から、神戸の街の写真を撮り始めていました。
そして、この震災でその被写体のほとんどを失いました。
あの日、玄関の近くにコンタックスT2が、連れて行って...と言わんばかりに転がっていたのです。だから持って行けたのかと思います。
そう、私はまちづくりの仕事に関わっていたから、半分、仕事のつもりで写真は撮りました。
もちろん、あっちこっちで、声が上がるともちろんカメラどころではない。
それでも、歩き始めるとカメラのことを思い出す。異常な気持ちだったのでしょうね。
 避難してきた人たちを受け入れる仕事になってから、写真を撮ることは全く忘れてました。不思議なものです。
Commented by ktokuri at 2007-01-17 18:41
midori さん、今日は帰りに、この日亡くなった友人のところに寄ってきました。今度の週末には、避難所で亡くなった人たちのお宅を何軒か回ります。これが私の毎年の心の落ち着け方です。
Commented by ktokuri at 2007-01-17 18:56
MASAYOさん、そうですね。ヘリコプターのせいで、埋まっている人の声がどの方向から聞こえてくるのかとてもわかりずらく、みんなで苦労した記憶があります。今でもあの音を聞くと、大勢の人たちが耳を寄せて微かな音を聞こうとするあの空気を思い出します。一生懸命だったので、腹を立てる暇もありませんでした。
 あのとき、みんな必死でしたね。

Commented by ktokuri at 2007-01-17 19:05
摂津屋さん、そうですね。忘れてはいけない。
私のところはご存じのようにひどい被害が出たところで、住民のもっとも死亡・負傷率の高い地区になってしまいました。
朝も大変でしたが、恐ろしかったのはあの日の夜でした。火がどんどん追いかけてきて、周りの見慣れた町並みを凄い勢いで飲み込んでいきました。職場から急遽帰ったものの、なすすべもなく、自分の家の家具をマンションの裏庭に放り出し、今にも火がつきそうなご近所の顔なじみの人たちの貴重品をせっせと私の家に運び込む仕事をしていました。
一時はその家も危ないのではないかと思いましたが、見ているほかなく、広い道路が食い止めてくれたと判断できたのは夜明け前でしたね。
 それから一ヶ月間ほどは、もともと2人しかすんでなかったところに、ご近所の皆さんと十数人一緒に住む生活。食堂のテーブルの下が私のねる場所になってました。
 こんな体験、嫌でしたが、今でもそのテーブルを観るとなんかベッドに見えてくるような(°°)☆\(--メ)バキッ! 変に懐かしいです。
Commented by ktokuri at 2007-01-17 19:08
2007-01-17 09:20の鍵さん、そうなんですか、思い出の光景の写真なのですね。不思議なご縁です。
こうやって、どこかで色々な方と思い出を共有しているというのが、なぜかうれしいです。
Commented by ktokuri at 2007-01-17 19:12
panchan1121さん、震災には色々な人の色々な体験があって、色々な受け止め方があるのだろうと思います。それはそれでご苦労であって、「申し訳ない」ことはないと思います。
そう、その火の手ですが、私は1枚目の写真のあの火がまさか、あれだけ広域に、街を焼き尽くすことになるとはそのときは想定していませんでした。
今でも、この日がくると、同居人は「火の海の中に独りで置いておかれた」と言っています。
Commented by ktokuri at 2007-01-17 19:14
kaorukoさん、みんなそれぞれの想いでこの震災のことを考えるのだろうと思います。
それがでいいのだと思ってます。
昔、ここでこんなことがあったのだ...と余裕で言えるようになるのかどうかは私の心ではわかりませんが。
Commented by kobezuki at 2007-01-21 02:07
こんばんは!
お写真を拝見していると、私もあの日のことが鮮明に蘇ります。
まるで戦場のようだと感じたのが私の第一の感想でした。
また、私もあの日は非常に冷静でするべきことが手に取るようにわかり、
家族や周りの人に指示を出せていました。
今となればとても不思議ですが・・・。
また、 ktokuriさんと同様に家屋の下敷きになった人を
みんなで助け出したりもしました。
でも、布団に入ったまま亡くなられている方も多く、
こんなに温かいのに亡くなられてるなんて・・・。
最後に、私も決して忘れることはありません。
Commented by ktokuri at 2007-01-21 16:56
kobezukiさん、確かに戦場そのものでした。おっしゃるように冷静な人と、呆然となっている人と、はっきり二分されていたように思います。
布団の中で、暖かいまま息絶えている人、そう、「本当に亡くなっているの」と何度もみんなで繰り返して...こんなに暖かいならなんとかなるものだろう...と思うのでした。実際はなんともならなくて...
忘れることはない、光景、感触、音、 人の顔でした。


Commented by kobezuki at 2007-01-23 03:11
こんばんは。
ktokuriさんの震災当日の記事を拝見させていただいて、
私も、自信の体験を伝えるべきと思い、
はじめて自信のブログに震災当日の記事を載せました。
その際、 ktokuriさんの記事をリンクさせていただきました。
ご報告までに!!ヾ(*'-'*)
Commented by ktokuri at 2007-01-23 11:53 x
kobezukiさん、私は震災の体験はできるだけ情報発信していくべきだと考えてます。
何が正しいかはわかりませんが。
様々なことが起こったこと、様々な想いがあることが読んだ人にわかってくれればそれでいいのかも。
<< 【元町山側】 ときどき (寿司... 風邪ひきの日はCDとカツオム ... >>