今年もこの日がやってきました
 今年もこの日がやってきました。11年前...
あれは三連休の終わったウィークデーの初日、大きな揺れで立ち上がることもできない状態で、目が覚めたのでした。
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 マンションのベランダから観た日常の風景は一変していました。     ContaxT2
火災を心配して着の身着のままで階下に降りると、道路の真ん中に家屋が散乱してました。
まさに悪夢を観ているような...
 この日は長い一日でした。神戸の街中を歩き回り、多くの人と多くのことを行い、何をしてどうなったのかは、異常な心理の中、記憶の中でも定かではありません。
この日から多くの人に接しました。私の腕の中でなくなった人もいます。
辛い体験、哀しい想い出がいっぱいですが、忘れるわけにはいきません。
一方ではこの日から多くの出会いがありましたし....
それが今の自分の人生、生活、考え方につながっているのだと思います。
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旧板宿駅跡 どこからか舞い降りた雨傘   7年夏      Leica M6 Sumilux 35㎜f1.4 asph

 
 神戸の人たちの中にもこの日のことを「忘れたい」「思い出したくない」という人がいますが、
正面を向いて、絶対に忘れることなく生きていかなくてはならないと私は思っています。
私たちが忘れなければ、その想いの中にあのときに命を落とした人たちも生き続けているのだと...

 
by ktokuri | 2006-01-17 06:21 | 想い | Trackback(5) | Comments(18)
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震災後数年は、1月17日の5時46分に目が覚めましたが、そうならなくなって久しいですね。
当時は人生で、一番忙しい1年でした。
Commented by settuya at 2006-01-17 10:05

................m(_ _)m...................

黙祷
やっぱり、この日のことは忘れたらあかん。
Commented by ktokuri at 2006-01-17 10:34 x
神戸、淡路、阪神間の住民には大変な試練でしたが、日本の世界の人情を知るいい機会でもありました。
 しかし、今日のマスコミの色々な報道を観ていると興味本位にとらえているとしか思えない不勉強な、いい加減な、取材が目立って、現地住民としては腹が立ちます。
 読売新聞の朝刊では、地元では誰でも知っている公園用地を、仮に置いている遊具をわざわざアングル外して撮影し、「被災地では、このように空き地が目立つ」というニュアンスの記事がありました。なんかなあ?人を馬鹿にしているような感じで不愉快でした。
Commented by moo_yoshi at 2006-01-17 12:14
ベランダからの写真は、まさに悪夢の始まりのような写真です。

街の姿は少しずつ復興出来たとしても、被災された方々の心の痛みはそう簡単に癒せるものではないと思います。
また、歳月によって風化される事のないよう一人一人の胸に刻みつけておかないといけない出来事だったとも思います。
Commented by senshikibow at 2006-01-17 14:16
私は西宮で地震を経験しました。
あの朝は地鳴りと揺れで目がさめました。起き上がろうにもベット上でピョンピョンはねるような状態で起き上がれません。なぜか部屋が明るくなり、押入れのふすまがパタパタと外れて倒れたのを覚えています。
妊娠7ヶ月の嫁さんを連れて、全壊のアパートの窓から脱出、周りの光景に目を疑いました。
とにかく、貴重品を車に積んで、義妹夫婦のマンションと車を走らせ始め、ますます悲慘な状況が目に飛び込んできました。
出発前に車の座席の下にカメラを放り込んだのですが、結局、あまりの悲慘さに1枚も撮れませんでした。
倒れた塀、ペシャンコになった家、名神の高架も崩れ落ち・・・・
まさに悪夢でした。
でも、その年の5月には娘が生まれ、その娘も今年の4月で小学5年生になります。
一時は西宮を離れたのですが、また戻ることも出来ました。
とにかく、生きているという事の大切さを事ある毎に夫婦で話し合った11年でした。
Commented at 2006-01-17 16:30
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kozutuming at 2006-01-17 20:15
こんにちわ、エキブロ新聞をみて来ました。
今でも普通の生活ができていない方もおられると聞いています。
地震直後に尼崎の兄から「そっち大丈夫か?」と電話があり、無事を確認。
その後は、どこも電話がつながり難くてヤキモキしていました。
関西には親戚・友人が多く、本当に忘れられない日です。
ルミナリエの鎮魂の鐘の音を聴いて涙したうちの1人です。
Commented by fujiko_mine8 at 2006-01-18 20:21
神戸ほどではありませんでしたが、大阪でもかなり揺れて飛び起きたのを思い出します。
数日後に、神戸に住んでおられた職場の先輩のところへ、バスなどを乗り継いで長時間かけて行ったこともありました。
その先輩も今では3人のお母さんとのこと。
困難な状況を乗り越えた人は更に強く生きていかれるような気がします。
Commented by yukarin at 2006-01-18 23:54 x
本当に・・・・長い一日、そして、なにが起こったのか、呆然とする日々・・・。忘れられません。私は、昔から日記を書いていましたが、今でも、1年に一回は、その時に綴った、ページを読みます。
11年、長い様であっという間でした。長田には、親戚の家が5件ほどありましたが、全件、燃えてしまいました。今でも、あの時の大変さは、忘れません。私も、真正面から逃げずに向かって生きたいと思う一人です・・・。

Commented by ktokuri at 2006-01-24 21:46
moo_yoshiさん、確かに悪夢の始まりでした。
あの写真の黒い煙が、その後、街の大半を焼き尽くす恐ろしい大火になりました。
しかし、そのときにはまさかそこまでのことは想像できませんでした。
実際は火はほぼ24時間燃え続けたのです。
Commented by ktokuri at 2006-01-24 21:50
senshikibowさん、私は最初から非常に冷静でした。
これは子供のときからの私の精神的な特性なのですが、些細なときには大あわてするタイプなのですが、ことが非常に深刻なときには、自分でも不気味に冷静になれるのです。
 母親が若くして死んだときにも、一緒に遊んでいた友人が車にはねられたときにも、山に入っていて、無数の落雷に遭ったときにも、なぜか頭が冴えるのです。昔は非常に気味の悪い子供だったと叔母には言われます。
 このときにも、「記録を残さなければ」という頭があって、カメラを出し、日頃は絶対にしない、日付入りモードをセットしました。
ただ、それでも人は撮れませんでした。あまりに異常な状況だったというよりも、常に救いを求める手があったからです。
Commented by ktokuri at 2006-01-24 21:52
おがちゃんさん、ブログ拝見しました。私よりもはるかに大変な生活でしたね。お子さんがいて、それもまた大変なことだったと思います。
Commented by ktokuri at 2006-01-24 21:53
kozutumingさん、ルミナリエの一年目は確かに荘厳で、私も涙が出てきました。
あの日のことを最初に想い出した夜であったかもしれません。
Commented by ktokuri at 2006-01-24 21:58
fujikoさん、確かに困難な状況を乗り越えた人は更に強く生きているのでしょうね。
特に多くの命が失われたときを共に過ごして、生き残った者には何か、そのときを境に変わるものがあります。
ほとんどの人間がそうなのですが、ただ、その「変わり方」が問題なのだと思ってます。
Commented by ktokuri at 2006-01-24 22:00
yukarin さんも大変でしたね。私のところは親戚は少なかったのですが、同居人の一族や近所の方々で住めなくなった人がいて、小さなマンションに二十人近くが過ごしていたときもあります。
私も食卓の真下で寝てました。皆苦労しましたね。
Commented by ayrton_7 at 2006-01-30 18:55
悲しい出来事、忘れては駄目ですね。
亡くなられたみなさんの死を無にしないような街作りが大切です。
Commented by midori at 2007-01-15 21:06 x
今年もまたあの日がやってきます。
こちらにうかがって、涙が止まりませんでした。
あの日のことを12年たった今も同じ気持ちで思い出す人がたくさんいるということを伝えたいと思います。
トラックバックさせていただきたいと思います。
Commented by ktokuri at 2007-01-16 09:35 x
midoriさん、今年もまたあの日が明日やってきますね。
今も同じ気持ち....ありがとうございます。ぜひお伝え下さい。
トラックバックが、最近はスパムのようなものが多いので制限モードを選んでしまっていて、やりにくくなってます。
 明日をテーマにした記事を書くときに、モード設定変えます。
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