われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処にいくのか
タイトルはボストン美術館所蔵のゴーギャンの傑作からお借りしました。
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 今年は友人に不幸が続きました。2週間前の月曜日、夏の疲れをとるために休みをとって楽しく、くつろいだ時間の後、家に帰ると留守電話に友の訃報。驚くと同時にやはり...という想いもありました。ずっと制癌剤をとり続け、もう数年になるのでしょうか。最初は自覚症状があっても検査では出てこない、そんな状態が続いていたようですが、病院を転々として、やっと状況が把握されて闘病生活を続けていました。そんな中、いつ会ってもほがらかに振る舞っていた彼だけに、ちょっと想いは複雑です。

 昨日は、予定していたスケジュールがキャンセルになったので急に時間があいて、その友人のところにお参りに行ってきました(この表現は仏教的すぎるかな..)。お通夜にも葬儀にも出られませんでしたので...
 私よりわずかに年上で、五十歳にもならない若さで亡くなったのはとても残念です。

 私には友人、知人が多くいますが、もともと自分のことはあまり深く話しません。相談もしません。親兄弟には、ましてや...という感じです。誠実に接して、嘘はまず、つかずに話をしますが、踏み込んで欲しくないことには、はっきりそう言って一線はひいてしまいます。
 でも亡くなって自然に帰った友人には色々と、勝手ながら心の中で相談します。昨日もそんな感じ..今、迷っていること、悩んでいること...生きているうちには話せなかったことを、心の中で彼に話して帰ってきました。
 
 私は、宗教観もあるのでしょう。自分の人生で残されている時間は「生かされている時間」と思ってます。その機会を与えられているなら、つまらないことを考えず、思い出さずに、できるだけ楽しく、自分の想いが人の迷惑にならない範囲で、良き出会い(これは必ずや悲しい別れで精算されるものでしょうけども..人生が無限でない以上..)や楽しみの時間を設計したらいいと思います。
 迷うこと、不安なことはもちろんありますが、持てる者だからこそ失うのが怖い、今、持っているだけで幸せなことなんだ...と思うことにしたいと感じます。

 まあ、そんな偉そうなこと書いてますが、実はいつも自分の中ではグダグダ..亡くなった彼の前もまだ見栄を気にしていたのかもしれませんね。

 (写真は記事内容とは関係ありません Olympus E-300 50mmf2.0
by ktokuri | 2005-09-04 10:52 | 想い
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